BLOG BY TORAKO

雑記。その日見た夢、映画、スノーボード、ゲーム、旅行、日常。メンタルヘルスのことも。

うつ抜け3要素(私の場合)

今日は、私の経験を書かせていただきます。まとめたかったので。

 

鬱抜けについてです。(あくまでサンプルが私一人なので、すべての方に当てはまるわけではないです。私の場合です。友人や家族に無理強いは絶対にしないでください。ただの、ある一つの経験談です。)(うつ状態にある方は、見ないほうがいいかもしれません。)

 

私は、うつ病でした。お風呂に入れなかったし、ベッドから起き上がれないし、消えたかったし、何をしても嬉しいとか楽しいとかの感情が湧き起こらないし、毎日理由もなくただ泣いてました。意味もなく怒ったりもしていました。一生わからないような、壮大なことを考えて、絶望に暮れる日々でした。

 

今でもたまに、「あ、うつ気味になってきたかも」と思うこともありますが、自分で準備ができているので、普通に乗り越えられます。「生きるのを諦めたい」のが昔の自分で、今は「消えたいのを忘れている」という状態です。

 

私が、うつが抜けたかもしれないと思えるようになったのは、やはり時間が大きかったと思います。治療に多大な時間を要しました。それをちゃんと乗り越えられたのが大きいです。自分がうつだっていう方、いいですか、休んでくださいね。かなりの罪悪感を感じると思いますが、皆感じています。休んでください。起きれなかったら無理に起きなくていいのです。泣いてしまうなら泣いてしまえばいいのです。気が向いたら、何かすればいいだけです。気が向いたら、です。いつか気が向きます。あと「死」についてですが、私はなんとも言えません。私が経験したのは、「死にたい」ではなく「消えたい」だったから。消える方法とかを何回も考えたけど、消えるのって難しいぽいです。私の記憶をひとりひとりから取り除きたかったですが、無理なので、惰性で生きてました。その惰性のおかげで、治療の長い長い期間を乗り越えることができました。

 

あと私のうつ抜けの要因2つ目。私は、半ば強制的にスノーボードに行く環境がありました。いくら行きたくないと言ったところで、大学時代に一緒にスノーボードをしていた仲間がわざわざ遠征に来てしまったり。一緒にスノーボードをよくする仲間が、行こう行こうと何度も何度も誘ってくれたり。正直ものすごくきつかったです。笑わなきゃいけないし、合わせなきゃいけないし、その日に合わせて体調を整えないといけないし。でも、行きました。なぜなら、私の思い出が私を支えてくれたからです。スノボしてるときの自分って、思い返したら楽しそうにしてるんですよね。だから、重い腰をむりくりあげてました。楽しくなることを、ほんのちょっと期待していたんだと思います。しかも、私は単純なので、スノボをしたあと笑う回数がかなり増えていました。

これは私の場合です。うつの方に「運動しろ!!」っては言いません。言ったところで出来るような状態じゃないんですよね。ただ思い出してほしいのが、鬱になる前、運動したあとってけっこう前向きな気持ちになってませんでしたか?うつのときって、「起きれない」→「ずっと寝てるから体力ない」→「少し動かないとやばい」→「運動してないから起き上がっただけでめまいがしたり頭痛がしたり、うつと併発してるその他諸々の症状が出ちゃった」→「起きれない」っていう無限ループに陥っちゃうんですよね。だから、そこにワンクッション「起きてみる」とか「立ってラジオ体操ちょっとだけしてみる」とかでもいいと思います。それをやったところで、うつ状態の人が「めっちゃ前向きになったわやばー」ってことはないと思いますが、とりあえず「できた」が増えますよね。それが大事なような気がします。「できた」を増やすことで、いろんな思考から、ちょっとずつちょっとずつ、超ちょっとずつ、開放されていった気がします。

 

最後の要因。私が完全にうつが抜けたような気がした要因。愛犬が病気になって亡くなったことです。病気になったとわかってから、大型犬の介護生活が始まりました。寝る時間もほどんどありませんでしたが、彼の犬生の最後を共に過ごせるなら、どんなことでもしてあげよう、ずっとそばにいようと心がけました。あまり外にも出かけなかったです。私はそのとき、「ついてるな」と思いました。だって、もし私が働いていたら、犬の隣にずっといることなんて出来なかったですし。私がうつだったから、働けない状態だったから、一緒にいることが出来ました。介護をしていくうちに、私は消えたい気持ちを忘れ始めました。犬に対して死なないでほしい、という気持ちばかりでした。

そして私が、精神力を取り戻してきたときに、彼は逝きました。悲しくて悲しくてたまりませんでした。でも、私は後追いをしようとは思いませんでした。なんでだと思いますか?犬が、絶対にそれを望んでいないことがわかっているからです。

本気で自分から愛を供給してみると、意外と満足できるみたいです。「犬が愛してくれたからじゃないか」と思うかもしれませんが、正直犬なんて愛してくれてるかわかりません(笑)私はそう信じていますが、実際に犬が愛してくれてたかどうかなんてわかりません。だって話せないし。ただエサくれる人としか思われてなかったかもしれません。でも、それでも私は本気で、彼が家に来たときから家族と思って接しました。そしたら、満足できました。彼は満足してるかわかりませんが、でも満足しただろうと信じることもできます。あと、諦めもつきます。こんだけ愛情注いで育てたから。これ以上何も出来ないくらい、本気で接したからです。とても可愛く、私を一途に愛してくれた(と私は勝手に信じている)犬でした。

この経験で、私は完全にうつの思考回路から抜け出しました。というか、抜けなかったら、いよいよ私の頭がおかしくなりそうでした。だから強制的に、犬との温かい思い出だけを思い出すようにしていました。犬がいなくて寂しいとか、悲しいとか、思うすきを作らず、どうにかここまで来ました。よくやったな…

 

私が思う、うつ抜けした要因3つです。私にはどれも必要な要素でしたが、一番はやっぱり時間でした。膨大な時間で、何が原因で自分は悲しいのか、怒ってるのか、気分が悪いのか考えたりしました。めちゃくちゃ考えて、結局答え出ませんでしたが、なんとなく考えきってる気がします。それって結構いいことなんじゃないかなと思います。だってまた考え出しても「いや、それ散々考えたけどわかんなかったじゃん」って自分で思い直せるから。それの練習の時間だったような気がします。もともとポジティブな性格だし、けっこう単純なところがあるので、そこも良い感じに影響してくれたかなと思います。

 

あと、うつが抜けたなって自分で感じてから、人と接する機会が増えて思うことですが、昔の私は一回死にました。新しい自分になってるような感覚です。記憶は鮮明に残っているのに、昔の自分とはまるで違います。様子を伺いながら、そろりそろりと生きています。一度死んでるし、あまり自分を責めなくてもいいよね、くらいの感じです。

 

周りにうつ病の人がいるって方、支えたいのもわかりますが、あまり自分を犠牲にしないでください。正直あのときの私がもし、私の家族だったら、きつかったと思います。自分まで病むわ!って思うでしょう。それが普通だと思います。でも、うつの人には、うつの人にしかわからないほどの、大きな大きな苦しみを抱えています。どうにか見捨てないであげてほしいです。もちろん、ほどよい距離をとって。

 

今回は少し重たい話でしたが、すみません、私が書き留めておきたかったのです。あまり役に立たないと思いますが、まぁこんな例もあるんだなーくらいに思ってほしいです。

 

スノボは、うつから抜けた今、狂ったようにやってます。最高。今度スノボのこと書こうかな。

 

今日はここまで!

 

追加

療養中にやってたことって、絶対肥やしになります。話のネタにも使えるし、社会的に自分が関わらなくてもいい範囲なんかもわかるようにやりました。無駄はないです。大丈夫。