BLOG BY TORAKO

雑記。その日見た夢、映画、スノーボード、ゲーム、旅行、日常。メンタルヘルスのことも。

思考の癖

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仕事を休んだ。

 

昨日の夜、涙が止まらなくなった。仕事のことを考えていると、怒りばかり湧いてくる。

 

経緯を殴り書きした記事を書いてもいいけど、特にそれによって解決するわけではないので、私のプライベートメモに書くに留める。

 

今日何を書きたいかというと、心情の問題について。仕事に行き最近毎日何を考えるかというと「一層のこと、倒れてしまえればいいのに」ということ。倒れて何になる?倒れて誰が得をする?でも倒れてしまいたい。倒れたら入院して少し長い間休むことができる。目先のことを考えて、自暴自棄になってしまう。倒れてしまえば、もう辞めて良いという許可が降りるかもしれないという思考に陥る。誰が許可をくれるって?そんな人いない。絵空事

 

昨晩は、職場に対する怒りで寝ることができなかった。上司のこと、部下のこと、人事のこと、社風。全てにイラついていた。ギラギラと目が覚めていた。

 

2時間ほど寝て、起きた朝はそれはそれは気持ちの良い朝だった。暖かい日光が部屋に差し込み、鳥のさえずりが聞こえた。今日は日曜日。世間はお休みの人で溢れる。到底、仕事に行く気力は残ってなかった。カーテンを開けて思った。「いや、仕事なんて無理だろw」すぐ上司に連絡した。体調不良だと。実際嘘はついていない。寝不足でひどい頭痛と吐き気だった。たまには休ませてくれ。

 

あまりにも思い詰めてしまったので、少し散歩に出かけた。気持ちが晴れると思った。ただ歩いた。でも気持ちが晴れるばかりか、また涙が止まらなくなってしまった。ある意味変質者だろう。それなのに、憎たらしいほど朝の日差しは気持ち良い。

 

仕事でそんなに思い悩むなら、仕事や職場なんて世の中に腐るほどあるわけだから辞めてしまえば良いだけだ。なぜそれが出来ないのだろう?毎日自暴自棄になっているのに、どうしてそれを捨てる勇気がないのだろう?毎日の大半をそこで過ごすと言うのに、我慢している意味なんてあるのだろうか?

 

比較的昔からそういう体質にある。辞めたいことを辞められない。正確には、辞めさせてもらえなかった。嫌なことをただひたすら続けさせられる環境で育った。吐きそうだと思いながら通っていたピアノのレッスンからも、逃げられなかった。嫌なことでも続けていなければ、呪われた私の家族から非難を浴びるだけだった。何度助けを求めたかわからないが、本当に助けを必要としていると思ってもらえなかったのか、手を差し伸べてくれる大人はいなかった。甘い言葉をかけてくる大人さえいなかった。

 

仕事の何がそんなにイヤなのか考えたが、何がイヤなのかわからないから大変だ。この自問自答を繰り返してもう3年が経った。何がイヤなのかわからないから、辞めないように頑張ろうと自分を騙し騙し今まで過ごしてきた。人も社風も人事も目標も、全て嫌い。それが理由。明確な理由などない、宗教じみた会社の方針が生理的に大嫌いなだけ。

 

こんなことを今日書いたところで、どうせまた明日には出勤している。自暴自棄になりながら。

 

じゃあ、果たして仕事を辞めて何か残るのだろうか?私が続けてきたことなんて、ひとつもない。英語学習とフランス語学習だろうか。人に教える術はない。英語を役立てられるほどの語学力もない。ただ続けただけ。好きだから、続けただけ。知りたいことだけを知っているだけ。

 

こんな自分に何ができるのか。やっぱり文句を垂れ流し、自暴自棄になり、たまに自殺願望も持ちながら、言葉通り「死ぬ程」我慢しながら社会人の鎧を纏って生きていくしかないのだろうか?

 

私だけじゃないはず。仕事から帰ってきて、社会で戦っていくための鎧を脱いだ時。「こんなの続けていけるわけがない」という気持ちになること。心から知りたい、毎日どうやってモチベーションを上げて鎧を着込んで社会で戦っているのか。それとも鎧を着なくて良いほど、みんな強いの…?

 

そうやって怒りや虚しさが倍増していく。私は以前、うつ病を発症したときに気づいた。思考には癖がある。どのように考えるのか、人それぞれ、場面それぞれで癖がついている。私は怒りを感じそうな出来事が起こると、思考の片隅で小さな声で怒りが声をあげ始める。だからその場では怒りを発散させることが出来ない。それが出来ていれば健全かというと、世間一般的にはそうでもないみたいだけど。そして小さな怒りが、肥大化していく。私の感情の全てが、怒りに魅了されていく。あなたの言う通り、怒って然るべきことをされた、と。ただ怒りは非力だ。すぐ力尽きる。膨大なエネルギーを瞬時に使い切り、怒りは眠り始める。それを見計らって私を普段支配している感情がまた目を覚ます。「罪悪感」と「虚しさ」である。こいつらは、なかなかしぶとい。私は常にこいつらに支配されている。楽しさや嬉しさが私を支配することももちろんあるが、一瞬で消えてしまう。罪悪感と虚しさが、楽しさや嬉しさを追っ払ってしまう。「私たちの居場所を奪うな。お前らの居場所なんてここにはない」と言って。楽しさや嬉しさは、健全であるから、そのような環境には身を置かない。すぐさま姿をくらましてしまう。ふさわしい人々の思考に、すぐ移動してしまう。私の思考の癖を擬人化して抽象的に説明するとこんな感じ。

 

どうせ平等に死は訪れる。皆それぞれ孤独に死んでいく。それなら楽しく生きていきたい。それなのに、真逆の行動をとってしまう自分を、恨まずにはいられない毎日だ。