BLOG BY TORAKO

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アメリカ短編小説【Laughing Sam】

英語で読む短編小説

みなさん、こんにちは!

今日はアメリカの短編小説をご紹介します。というのも、映画JOKER(しつこい笑)を見て思い出したものがあるのです。

 

William Saroyan (1937). Laghing sam

 

WilliamSaroyanはアルメニア移民を親に持ち、カリフォルニア州の生まれです。楽天的でありながら時には感傷的な作品が特徴的です。LaughingSamは、短編集Little Children中の1編で、異彩を放っています。

 

あらすじ

このお話は、語り手がサムにフォーカスして様子を描くような形で話が進んでいきます。サムは、いつも笑ってばかりの男の子で、語り手は少し奇妙に思うこともあったようです。

いつもバカにされ、醜いからといじめられ、それでも笑い続けるサムに対して、語り手は若干の理解を示していますが、なかなか声をかけてあげられませんでした。サムと語り手は、同じ職場で新聞配りの仕事をしていました。

ある日、新聞に殺人についての大きな見出しが出ます。いつものように、見出しのタイトルを大きな声で宣伝しながら配るのですが、サムは大きな声で笑いながら新聞を配っています。さすがにまずいと思った語り手が、サムに笑える出来事じゃないだろ、という旨をと注意しますがサムは言いました。「僕は笑ってなんかない」と。

 

どこにも居場所がないサム

この話、とても短いのでサラッと読めるのですが、私は初めて読んだとき衝撃を受けたのを覚えています。こんな短い話で、こんなにグロテスクな描写ができるもんなんだな、と思いました。

サムは笑うことでしか感情を表せないんです。どんなに悲しくても、どんなに辛くても、それを笑うことでしか表せない。そうすることで、ますます周りは気味悪がり、どんどん孤独が加速していきます。

 

サムに対して、このような記述がありました。

He was obviously lost, completely out of place; ... out of place in the world, in time, in space, in history, in life.

 悲しすぎます。多少の理解がある語りてから見ても、サムには完全に居場所がないように見えていたのです。単語もとてもシンプルなので、悲しみが真っ直ぐと伝わってきました。どんな世界からも押しやられるサム…

 

人間にはどこにも居場所がないのか?

こういった話を読んだり映画で見たりすると、私はなんとなく共感できてしまうのです。世界から取り残されているような感覚になったことって、ありませんか?若かりし頃の私は、超絶ポジティブ人間だったので、「私という存在があまりにも最先端過ぎて周りがついてこられないだけだ!!」と思うくらい気持ちが強かった(バカなだけかな?笑)のですが、大人になるとそうも言ってられず。

でも、私は思います。サムは若くして亡くなってしまいましたが、彼ももっと生きていたら、必ずどこかに居場所があったはず。どこにいっても居場所がない、と思いがちですが、私は信じています。どこかにある。ずっと先の未来かもしれないけど。悩んでもがいて、苦しんでる人が必ず見つけられる場所。自分が行動さえすれば、どこかにあると私は信じます。

サムに亡くなってほしくなかった。私はこの話を読んだとき、サムが亡くなったのが惜しくて仕方ありませんでした。だってピュアだからこそ、サムは悲しみが溢れていたんでしょう。それを表現する方法としての笑いですよ。新聞の見出し一つで、そんなに悲しむことが出来る人はどのくらいいるでしょう。少ないと思います。

そんな事を考えた小説でした。

 

短編小説を英語で読むメリット

 

英米のゴシック小説といいますか、ブラック・ユーモアといいますか、ちょっと不気味といわれている小説が好きで、古いものですが短編集をたまに読んだりしていました。

短編小説は、数ページで完結しますし、辞書を引きながらでも十分楽しめる内容の物が多いです。日本語で読む楽しさとは違う面白さがあります。また、古い言い回しのものや分かりづらい単語の説明を日本語で書いてある短編集も発売があると思います。

毎日少し長文を読むようにしただけで、飛躍的に英語の読解能力は伸びたように感じます。日々の英語勉強の中に取り入れてはいかがでしょうか?

 

今日はここまで。明日は金曜日ですね!わくわく。